【博物館】手作り感満載の博物館でした!(西東京市郷土資料室)

久しぶりの縄文スタンプツアーということで、今回は西東京市郷土資料室へ行ってきました。
こちらの博物館は、写真の通り、小学校の校舎を利用した博物館。なんか小学校の校舎というだけで、すごい懐かしさに包まれたので、入り口時点でエモかった。

内装はもちろん、めっちゃ学校の校舎丸出し。
こんな風に教室ごとに展示が分かれている感じで、なんとなく文化祭とかの展示品を見てまわる気分になりました。
第一展示室

第一展示室は、茨木のり子さんという詩人の方の展示。全然知らない人だし詩にも全く興味がないので分からなかったけど、詩の内容というか表現の仕方は、自分にはない感性で書かれている感じがして面白かった。
第二展示室

第二展示室は下野谷遺跡で出土した遺物の展示。



下野谷遺跡に関する説明。土器や石製品の使い方などの展示。
【小学生の展示と混じっている手作り感】

土器は加曽利E式土器と勝坂式土器が主な土器だったみたい。位置的に加曽利式と勝坂式のど真ん中というかぶつかり合うところというか、同じ範囲内にあるので、両方出てきた感じなのかな?
残念ながら、遺構ごとに土器の種類が違ったのか、或いは遺跡内でも出土した場所が異なったのか、そもそも出土した層が異なっていたのかなどは、展示からは分からなかった。
【下野谷遺跡の発掘の様子】



下野谷遺跡の発掘の様子。
住居跡の密集度合いから見ても、大きそうな遺跡。というか、発掘しがいがある遺跡な気がする。遺物もこんなにわんさか出てきたら楽しいだろうね。
【170号住居跡から出土した勝坂式土器】



相変わらずかっこいい勝坂式土器。見た目の派手さが良い。この土器の場合は割と小ぶりだけど、形が他の土器と違ってなんか独特な感じがする。かっこいいから3アングルでお届け!
【42号住居跡から出土した大木式土器】

42号住居跡からは、加曽利E式土器や勝坂式土器だけでなく、東北地方の大木式土器の特徴を持つ土器も出土していることから、東北地方との繋がりも見えてくる。
第三展示室

第三展示室には、現在と昔の道具が並んでいて、それぞれの道具が比較されていて、レトロな道具が好きな人には響きそうな展示。個人的に嫌いではないけど、どちらかといえば民俗学寄りな感じがするのでサラッと見て終わり。
第四展示室

第四展示室は、ジオラマで見る西東京の歴史。といっても、時代は鎌倉時代辺りからの展示だった。個人的な感覚なんだけど、古墳時代が終わって、飛鳥時代とかになってくると、考古学というよりは歴史と思ってしまうので、それはそれでまた別の分野な気がしてしまう。
あ、でもジオラマはなかなかいい出来だった。ガラスに反射してしまうので、素敵なジオラマは撮影しなかったけど、ちゃちな造りじゃなくて、ちゃんとしたジオラマだった。
第五展示室

明治時代頃の家の中を再現した展示。昔のモノ感が満載なので、こういうのが好きな人には良さそう。
下野谷遺跡

せっかくなので、話題の下野谷遺跡にも行ってきた。
下野谷遺跡について
現在まで遺跡調査が行われたのはまだ全体の約1/10程度。現段階で既に450軒以上の住居跡や大量の土器・石器、生活の痕跡が見つかっています。そのほとんどが縄文時代中期のもので、当時の生活を知る貴重な遺物です。
下野谷遺跡は、広場を5・6軒の住居で円形に囲む「環状集落」と呼ばれる縄文時代の典型的な構成で、1000年以上に渡り平和な暮らしが営まれていたと考えられています。さらに、このようなムラがなんと2つ以上あったことが分かっており、「双環状集落」と呼ばれる大規模なものと思われます。これほどの大規模な遺跡は関東地方でも数えるほどしかないらしい。

上野説明を見ただけでも、下野谷遺跡の規模の大きさが分かる。現時点で全体の約1/10程度しか調査されていないなんて聞くと、他にどんなお宝が眠っているのか気になるところ

下野谷遺跡の復元住居。
いろいろなところに縄文時代の復元住居はあるけど、藁ぶき屋根が主流なのに対して、こちでらは土を盛って住居を復元している。復元住居はあくまで想像で建てられた住居に過ぎないので、実際のところ、各地にある竪穴住居が藁ぶきだったのか盛り土だったのかは分からない。
そういうところにロマンがあると思います。


遺跡後なので、もちろん下を見ればそれなりに土器片が落ちています。そして遺跡公園の裏手には川が流れている。縄文時代に限らず、大昔から川は生活に欠かせない重要な水場だったので、こういう遺跡の側には大体川が流れてます。

そういえば、昔の定説では「農作物の栽培は米をはじめ弥生時代から始まった」なんて考えられていたけど、最近の研究では、縄文時代にも農作物は育てられていたことが分かってきたらしい。
実際、漆は人が手を加えないと自生では育ちにくいらしいし、縄文時代の土器を調べてみると、穀物の圧痕なんかも残っているので、縄文人も自分たちが生活しやすいように、森と居住地の間に現代でいうところの里山みたいなものを整備していたとかいなかったとか…
それにしても、こんな縄文菜園を見ると、今現場でやっている野菜の栽培と大して変わらんね。
