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【博物館】弥生時代の水田の研究におすすめ!(静岡市立登呂博物館)

 2026/08/20 博物館 この記事は約 6 分で読めます。 10 Views

 

 

静岡市立登呂博物館へ行ってきました。

名古屋へ行く道中に静岡県を通ったので、そのついでに登呂遺跡へ立ち寄ってみた。登呂遺跡は以前から行ってみたかった遺跡。弥生時代中心の遺跡は初めてだけどどんな感じなんだろうか?

 

 

登呂遺跡

 

 

登呂遺跡は、第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)に軍需工場建設の際に発見されました。学界の注目度は高く、また、弥生時代の水田跡の遺構が確認されたのは日本で初めてのことでした。そのため、弥生時代の水田を研究する際の基準とされている遺跡です。

大量の土器・木製品などの出土品とともに、住居跡・倉庫跡などの居住域と水田域が一体となって確認され、弥生時代といえば水田稲作というイメージが定着する契機となったことに加え、この登呂遺跡の発掘調査をきっかけに日本考古学協会が発足されるなど、戦後の日本考古学の出発点としても記念すべき遺跡です。

こうした登呂遺跡の歴史的価値が認められ、昭和27年(1952年)には、弥生時代の遺跡としては初めて国の特別史跡に指定されました。

 

 

弥生時代に使われていた道具(木製品)

 

 

博物館の一階は無料の弥生体験展示室。登呂遺跡(弥生時代)で使われていた道具や住居や倉庫などの展示や体験ゾーンがあった。ここで展示されているモノはレプリカしかなかったけど、思っていたよりたくさん種類があって驚いた。

写真は実際に使われていた木製品なんだけど、椅子なんかは現代でも普通に使っていそうな感じ、しかも組み立て式らしい。この頃から持ち運びを意識して椅子を作っていたなんて。凄すぎる。

 

 

こちらは登呂式土器の文様。縄文土器の縄文は有名だけど、弥生式土器にも文様があって、これは登呂遺跡の土器の文様らしい。

縄文土器ほどの派手さはない感じがするので、やはり時代が進むにつれて文様に込める意味よりも、土器の利便性を意識するようになっていったのだろうか?スピリチュアルな意味よりも利便性。

 

 

弥生時代に使われていた建物

 

 

こちらは登呂遺跡にあったであろう住居の復元。登呂遺跡のムラは地下水位が高い土地にあったため、穴を掘らずに周りに土を盛って作った「平地式住居」だあったと考えられているらしい。

 

 

建物内部は写真のように羽目板を並べて壁にしていたと考えられている。各住居は大きさにわずかな差があるけれど、身分の差が分かるほどの差はなっかたので、この頃、少なくとも登呂遺跡のムラには身分制度というか身分の差はなかったと思われる。

住居の入り口は水田に向いた南東側、中央奥側に炉があることが九通しています。また、地下水対策として、床に粘土と藁を燃やした藁灰などを何層も重ねた床下構造をもつ住居も見つかっているらしい。

地下水対策までしているなんて、弥生人も侮れん!

 

 

こちらは高床式倉庫。弥生時代と言えば、米作りなのでその米を置いておくための倉庫で、登呂遺跡では遺構の状況から、住居1棟に対して、倉庫が1棟あったと考えられている。

柱は住居よりも深く埋められていて、柱が4本、6本、8本の物があって、大きさが異なります。

 

 

高床式倉庫に関連する出土品として、ネズミ返しと梯子、端が凸凹の壁板が出土しています。入口の場所や形状は不明ですが柱の出土例から、地表からネズミ返しまでの高さは1.3mほどだったらしい。

 

 

弥生時代に使われていた衣類

 

 

衣類は輪状式機織で作られた貫頭衣を使っていたらしく。長く織り上げた2枚の布を首回りと袖口部分を残して前後左右を留め合わせていたのだそう。

 

 

登呂遺跡の出土品

 

 

博物館の二階は登呂遺跡の出土品の展示室。水田を耕す鍬や鋤には、平たい板状のものと櫛歯状のものがあります。

 

 

また、田下駄は泥んこの水田の中を歩くときに足が沈んでしまわないようにはいた道具だと考えられていますが、弥生時代の水田跡からは多数の足跡が見つかることもあって、その使われ方が検討されています。

 

 

こっちはグルメカレンダー、縄文時代のグルメカレンダーに稲や粟、麦や大豆などの作物が加わった感じ。それにちなんで豊作祈願・雨ごい・収穫儀礼などの祭祀も行われるようになったみたい。

 

 

道具を創り出すために、材料を打ち割ったり、くりぬいたり、削ったり、磨いたりといった加工する道具も出土しています。

弥生時代にあると、とくに木の道具類が多く使われるようになり発達しました。写真の道具は木を加工する道具として、大陸から伝えられた木を切り倒すための大型蛤刃石斧、木をくりぬくための柱状片刃石斧、木を削るための扁平片刃石斧やノミ状片刃石斧といった優れた磨製石斧が使われたり、弥生時代後期に広まった鉄製の刃物が使われたりするようになったからです。

登呂のムラでは、柔らかくて加工しやすいスギ材が多く使われていたらしい。

 

 

残念ながら、登呂遺跡は哲学去りやすい土質だったため、鉄の道具類はほとんど出土していないが、大量に出土した木の道具類に残った加工の痕を観察すると、鉄の刃物による加工が見られるのだそう。

 

 

静岡市立登呂博物館の展示は、今まで見てきた博物館と違って、やっぱり米作りを中心とした道具や土器や住居の展示がメインだった。特に木の道具類の遺物が充実している感じ。あと稲作に関する展示も細かいので、弥生時代の稲作の様子を勉強するのにはピッタリな気がする。

千葉県には弥生時代の遺跡はあまりないから、貴重な弥生時代の遺跡や遺物を観れて良かった!

 

 

 

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