【博物館】國學院大學博物館にふらっと行ってみた!(國學院大學博物館)

國學院大學博物館に行ってきました。
この日は「ポケモンのポケふた」を取りに行く予定だったのでサクッと訪問。神道部門など全部見てまわれなかった。あ、あと縄文スタンプラリーもついでに。
Contents
縄文スタンプラリー

縄文スタンプラリーは、東北から北陸まで幅広く回らないとゲットできないハードなスタンプラリー。全24カ所はなかなかの鬼畜なので、少しずつ回っていく予定。そんな記念すべきスタンプラリーの一カ所目!
國學院大學博物館の展示物(考古編)

展示物は基本的に全面ガラス張りのケースに入れられていることが多くて、見た目的にはカッコよくてオシャレな感じ。でも、結構ライトが反射しやすい素材なので、角度によっては、展示物がよく見えないこともあった。

博物館で展示物を上手く見せるのは、難しそうだなって思った。因みに、写真は火焔土器。縄文土器といえば、やっぱりコレよね。

そして縄文土器に並ぶ、縄文時代の花形遺物、土偶のコーナー。日本語だけじゃなくて、英語と中国語と韓国語の解説もしっかり書かれている。多分、土偶は日本独特の風習だっただろうから、珍しいだろうね。


土偶界の王様、遮光器土偶と山形土偶。みみずく土偶はいなかった。


土偶に並ぶ縄文時代の祭祀遺物といえば、やはり石棒。土偶は女性の全体像がモチーフになっているけど、石棒は男のシンボルそのもの。そして、土偶に負けずとも劣らないかわいさがある土版。いろいろな表情があって面白い。

縄文時代に別れを告げて、やってきたのが弥生時代のコーナー。こうやってライトの下で飾られると堂々としていて、なんかかっこいい。

勾玉や銅矛もこの頃に盛んに使われた祭祀具。なんかこの写真だと、勾玉が輝いて見える。

なんか面白い土器があった。万歳しているように見えるので、文字通り「挙手人面土器」というものらしい。

そして、弥生時代から古墳時代へ。古墳時代で有名なのは、やはり埴輪。埴輪って想像しているよりも大きいものが多くて、こんなのが古墳の上にたくさん並べられていたことを考えると、荘厳な感じがする。

あとは、古墳時代の壺とか。この時代になると、現代でも使われていそうな器の原型が出来てきたように感じられる。

古墳時代から飛鳥時代への移り変わりの時期。出来栄えを見ると、もう「普通の壺」って言っても過言じゃないレベルな気がする。

そして一気に仏教の時代へ。古墳から飛鳥~奈良平安への時代の変化は、ものすごい変化が起きたような気がする。その中でも一番大きなのが、なんと言っても「仏教」の普及よね。信仰するモノが大きく変わった時代。経塚なんかがわかりやすい。
とまぁ、入り口から駆け足で見ると、大体こんな感じの展示内容だった。
國學院大學の学校史

明治大学博物館もそうだったけど、学校系の博物館には、ほぼ必ずあるのが学校史。昔の偉い先生の活動内容や功績をはじめ、使っていた道具なども展示されている。
大量の縄文時代の土器

國學院大學博物館の一番の目玉は「大量の縄文土器の展示」だと思う。縄文時代草創期から始まって、前期・中期・後期・晩期と1万年以上に渡って営まれていた縄文時代。地域や時代ごとに様々な形式の土器が生まれて、それらが交わっていく感じが面白い。
以下の写真は、なんとなく時代順に形式を並べてみた。でも、もしかしたら時代の順番が違うかもしれないけど、そこはまぁなんとなく。



土器が登場した草創期は、シンプルな文様で、底が尖ったタイプの土器が多い。自立できない形から、囲った石の上とかに置いて使ったんじゃないかな?

前期になって、少しずつわかりやすい文様がついた縄文土器が出現し始める。
黒浜式土器


黒浜式土器(くろはましきどき)は、縄文時代前期中頃(約5500年前)に関東地方を中心に広く分布した土器で、国史跡「黒浜貝塚」を中心に大字黒浜地区内の貝塚遺跡から出土した土器であることから名付けられた土器。
諸磯式土器

諸磯式土器(もろいそしきどき)。標式は神奈川県三浦市三崎町諸磯遺跡。縄文前期中葉から後葉(約6000〜5000年前)にかけて西関東に広く分布していた土器。


具体的には、関東地方のうちでは、神奈川・東京・埼玉・群馬・栃木の一部にみとめられ、さらに中部地方の大半にまで及んでいる。博物館でもお馴染みの土器なので、結構目にする機会が多い気がする。
円筒下層式土器

円筒下層式土器(えんとうかそうしきどき)。縄文時代前期(約6000〜5000年前)に北東北から北海道南部で栄えた土器。


平底で真っ直ぐな円筒形の深鉢土器で、細かな縄目文様が特徴。a〜dの細区分があり、三内丸山遺跡など大規模集落から多量に出土している。
十三菩提式土器

十三菩提式土器(じゅうさんぼだいしきどき)。標式は神奈川県川崎市宮前区の十三菩提遺跡。縄文時代前期の終わり頃(約5500年〜5000年前)の土器で、口唇部に立体的な文様が付いているのが特徴、諸磯式土器にも、突起などの立体的な造形はあったが、十三菩提式土器では、粘土紐によってW字や渦巻文を安定的に施すようになった。器面全体のデザインに派手さが増してきているのがポイント。
興津式土器

興津式土器(おきつしきどき)。標式は茨城県美浦村の興津貝塚。関東地方では、縄文時代前期後葉(6000~5500年前)になると諸磯式土器が主体となっていたが、東関東から福島県の太平洋岸地域では、貝殻を工具とした文様を持つ浮島式(うきしましき)土器が成立し、それがこの興津式土器へと変遷していったらしい。
因みに、同じ漢字の「興津式土器(おこつしきどき)」は、北海道の続縄文時代早期の土器。漢字の表記が全く同じなのが紛らわしい。
阿玉台式土器

阿玉台式土器(あたまだいしきどき)。縄文時代中期前半(約5500年前)に、利根川下流域(千葉県・茨城県南部)を中心に栄えた土器様式です。特徴は、粘土に金雲母が混ざり、キラキラと輝く器面、口縁部の立体的な山形突起と眼鏡状の把手、そして三角形を基調とした文様区画。
五領ヶ台式土器


五領ヶ台式土器(ごりょうがだいしきどき)。標式は神奈川県平塚市の五領ヶ台貝塚。縄文時代中期初頭(約5000年前)の土器で、細線文や半裁竹管(ちくわ状)を用いた集合沈線文が特徴。関東・甲斐・南信地域における中期前半の基準となる土器。
勝坂式土器


勝坂式土器(かつさかしきどき)は、関東地方及び中部地方の縄文時代中期前半(約5000年前〜4500年前)の土器。


特徴は、隆帯で楕円形を繰り返す文様など通時的な変化を追えるものがあり、器全体を豪壮、雄大な造形で表現したり、動物、人物などの顔面把手、蛇を模した把手などがつけらている場合もある。
円筒上層式土器

円筒上層式土器(えんとうじょうそうしきどき)は、縄文時代中期(約5000〜4000年前)に東北地方北部から北海道南西部で栄えた円筒形(バケツ型)の深鉢形土器。

口縁部が外側に大きく開き、粘土紐や隆帯を用いた立体的で装飾性の高い文様と、山形や波状の大きな突起が特徴的。
加曽利E式土器

加曽利E式土器(かそりEしきどき)。標式は千葉県千葉市若葉区の国特別史跡・加曽利貝塚のE地点。加曽利貝塚のB地点は、後期の加曽利B式土器(かそりBしきどき)の標式遺跡となっている。



縄文時代中期前半の関東地方は、東の阿玉台式と西の勝坂式の2大勢力だったが、後半になって、関東地方全域は、南東北の大木8b式土器の影響のもと成立した加曽利E式土器によって統一された。ただし、中期前半に勝坂式の文化圏にあった甲斐地方と八ヶ岳南西麓地方は、加曽利E式土器の西方進出を拒み、曽利式土器の文化圏を形成した。
曾利式土器

曾利式土器(そりしきどき)は、縄文時代中期後半(約4900年前〜)に、八ヶ岳山麓を中心に栄えた土器様式。火焔型土器と並び、優美な「水煙渦巻文(すいえんうずまきもん)」や、胴部に描かれた大きな渦巻き文様が特徴。勝坂式土器に続く、長野・山梨地方の中期を代表する土器です。
火焔型土器

火焔型土器(かえんがたどき)は、縄文時代中期(約5000年前)に新潟県の信濃川流域を中心に作られた、燃え上がる炎のような鶏冠状(けいかんじょう)の突起が特徴的な深鉢形土器。

1999年に笹山遺跡出土品が縄文土器として初めて国宝に指定された。実用的な調理鍋でありながら、極めて芸術性の高い文様を持っているのがポイント。
堀之内式土器

堀之内式土器(ほりのうちしきどき)。標式は千葉県市川市の堀之内貝塚。縄文時代後期前半(約3800年前)に関東地方を中心に分布した土器型式。


特徴は、渦巻やU字を逆さにしたような文様や磨消(けし)縄文。この時期の関東では、注口土器が多く作られていた。
加曽利B式土器

加曽利B式土器(かそりBしきどき)。標式は千葉市の加曽利貝塚(B地点)で関東地方を中心に流行した土器。縄文時代後期中頃(約4000年前)。



特徴は磨消(すりけし)縄文や集合沈線文。精製土器は装飾性が高く、深鉢、鉢、注口付土器など多様な器形がセットで発掘された。
曽谷式土器

曽谷貝塚から出土した土器。昭和11年(1936年)には、縄文時代研究の大家、山内清男の分層的発掘により、縄文時代後期後葉の「曽谷式土器」が設定されたが、その実体がしばらく不明であったことから、曽谷式土器は長い間「幻の土器」と言われていた。

現在は、周辺地域の調査成果から、縄文時代後期の土器型式の一つとして認められている。
安形式土器

安行式土器(あんぎょうしきどき)。標式は埼玉県川口市の猿貝貝塚。縄文時代後期中葉から晩期(約3000〜2500年前)にかけて、主に関東地方で製作・使用された土器




特徴は、大形の波状口縁、精細な磨消縄文(すりけしじょうもん)、ブタ鼻状の貼り瘤(こぶ)、そして三叉文(さんさもん)など。
十腰内式土器

十腰内式土器(とこしないしきどき)。標式は青森県弘前市の十腰内遺跡。縄文時代後期中葉~前葉(約4000年前)の土器型式です。東北北部で特徴的な沈線文や磨消縄文(すりけしじょうもん)を持ち、祭祀用の器形が豊富で、当時の精神文化を象徴する土器として知られています。
大洞式土器

大洞式土器(だいどうしきどき)。標式は岩手県大船渡市の大洞(おおほら)貝塚。縄文時代晩期(約3000 年前~2200 年前)に、東北地方を中心に作られた縄文土器で、とても広く流行し、北海道や沖縄の遺跡からも発見されている。




形状は、深鉢や鉢、浅鉢、皿、壺、注口(ちゅうこう)土器、香炉形土器など使いみちにあわせた器があり、箆(へら)描きによる複雑できれいな沈線文様が描かれている。
縄文時代の祭祀具

石棒・土版・土偶などの縄文時代の祭祀具がたくさん。細かい解説はなかったけど、貴重な品々に違いない。


土偶といえば、真っ先に思い浮かぶのがコレ!遮光器土偶!国宝じゃないのに、なぜか土偶の代表格なんだよね。コイツw
縄文時代の石器

石皿・魔石・スクレイパー・石槍・石鏃などなど。


何度見てもこんなもので動物を狩っていたとは信じられない。動物の血が付着しているものとかは見つかっていないのかな?あったら面白そうだよね。
縄文時代の装身具

装身具の代表格といえば「耳飾り」。今でいうところのピアスみたいなものだけど、どこかの部族みたいに、穴を拡張してどんどん大きなモノにしていったらしい。

ヒスイの装身具。ヒスイは新潟産のモノが多いらしいけど、現在でも新潟の糸魚川なんかは、ヒスイの産地で有名よね。そういえば、叔父さんの家が糸魚川にあった気がするな。
貝層の剥ぎ取り断面

博物館の常連。貝塚の剥ぎ取り断面。じっくり見ると、いろいろな貝や魚や獣の骨が混ざっているのが面白い。




ヤマトシジミ、アサリ。イボキサゴ、ハマグリ、ツメタガイ、オオノガイ、サルボウ、オキシジミ、シカの骨などなど。
大量の弥生時代の土器

免田式土器(めんだしきどき)。弥生時代後期から古墳時代初頭(約1800年前)にかけて、九州中南部の熊襲(クマソ)の勢力圏を中心に作られた特徴的な土器。そろばん玉のような形の胴部に、半円を重ねた「重弧文(じゅうこもん)」と呼ばれる文様が施されており、美術品のような気品と呪術的な雰囲気が特徴的。

弥生時代といえば、稲作が始まったということで知られているけど、坪型の土器が増えた気がする。展示されている土器が、たまたま坪型なだけかもしれないけど、穀物を保存するのに坪型の方が都合が良かったのかもしれない。



縄文時代の土器は「○○式土器」って名前がついているのが多いけど、弥生土器にも型式があるっぽい。でも、型式より土器の形で振り分けられているのが多い気がする。時代の長さとかもあるから、型式よりも形で振り分けた方が分かりやすいのかもね。
大量の古墳時代の土器

古墳時代の土器の特徴は、縄文時代~弥生時代と受け継がれてきた野焼きの土師器に加えて、4世紀末に朝鮮半島から伝わった穴窯で焼く須恵器の登場だと思う。

因みに、それぞれの用途の違いは「土師器は日用の煮炊きなどに、須恵器は祭祀用に使われていた」とされている。
いろいろな埴輪

古墳時代は、その名の通り古墳がメインの時代なんだけど、その古墳に欠かせないのが埴輪。実物は想像していたよりも大きなものが多い。こんなものを古墳の上に何百~何千と並べたんだから、作るのもそうだけど、その労力たるや、すごいよね。



いろいろな埴輪があるけど、やはり動物の埴輪が一番かわいい。鹿の角までしっかり再現されているのが良いよね。
古墳の祭祀具や副葬品

古墳時代の祭祀具や副葬品の代表格「銅鏡」。最初は中国製だったらしいんだけど、だんだんと国産化されて行って、同じ系列の銅鏡(兄弟の鏡?)が各地の古墳で見つかっていることから、各地の豪族のつながりが読み取れるらしい。

銅鏡なんて、家にあっても仕方がないけど、なんかかっこいいから一つくらいは欲しいかも?

ヒスイやメノウで作られた勾玉。よく考えると勾玉の形って「日本最古のジュエリーのデザイン」って言っても過言じゃない気がする。いまだに勾玉の形って、いろいろなところでデザインとして使われているよね。
寺院の出現と瓦の生産

ちょっと前までみんなで古墳を作っていたのに、一気に廃れて仏教の時代になったのが面白い。ふと思ったんだけど、日本最古の宗教って仏教なのだろうか?それとも、仏教以前に何かしらの宗教的なものってあったのだろうか?
祭祀具は縄文時代からあるから、自然とかそういうモノに祈る時代はあったんだろうけど、宗教として何かしらのモノはあったのかな?まぁ、文字がない時代だから、記録が残せないし、今となっては分からないけども。

というわけで「瓦」です。瓦の模様や形にもそれぞれ意味があるんだろうけど、さっぱり分かりません。ただまぁ、瓦は現代にも引き継がれているということを思うと、廃れてしまった土偶や埴輪とは違う感じがするね。
というか、土偶や古墳時代の信仰って、今は残っていないんだろうけど、仏教は普通にあるしね。



だから、別に仏教を信仰していなくても、なんとなく、経筒やら板碑やら仏像やらがありがたいものだとは感じます。
とまぁ、盛りだくさんの國學院大學博物館だったけど、時間がなくて考古部門しか見れなかったので、また何回か足を運んで、他の部門も観てみようと思う。
