【展示解説会】地中からのメッセージ③『ー古墳・古代・中近世ー』(房総の村)
公益財団法人千葉県教育振興財団の設立50周年記念展「地中からのメッセージー古墳・古代・中近世ー」に行ってきました。どうせ行くなら、ちゃんと解説をしてくれる日にということで、展示解説会へGO!
動画が長いので4分割で、興味深い点だけ文章にしてみてたんだけど、全部見る場合は動画でということで♪
古墳から寺院へ

古墳時代から飛鳥時代、奈良・平安時代になると、これまで権力の象徴だった古墳が寺院に移り変わって、それに伴って文化も大きく変容しました。各地に国分寺などのお寺が作られ、これまで金属器を作っていた鍛冶や瓦や土器などの工房もお寺のお坊さんがメインになって取り仕切るなんてことも増えてきたらしい。
この時代は何かを作る際に、文字を書いたり、何かしらの計算をしたり、そういった知識を持った人が少なかったから、それらを一手に行えるお坊さんがいるお寺が中心になっていたという訳らしい。
墨書土器

これまで年代を図るのに土器の形態や文様が使われていたのが、この「墨書土器」の登場によって、文字からの判別が可能になったらしい。例えば、直接的に墨書土器に作成された年代が入ったものなどがあって、それによって、文字が入っていない土器でも同じ形態であれば、大体この時代っていうのが分かるようになったんだとか。他にも、年代だけでなく、1文字だけの墨書土器でも、集団ごとに文字が割り当てられていることがあるので、その1文字が入った土器が別々の場所で発見されたりすることで、人や集団の移動とかそういった情報も増えたんだそうな。

それにしても、人面墨書土器って、上手い人が描いた土器もあれば、落書きみたいの土器もあって、描く人の技量によって差があるのが面白い。絵が下手な人は、現代でいうところの「画伯」的な感じでいじられたりとかもしたのだろうか?そもそも墨書ができる人は偉い人だろうから、下手な絵でも、おべっかを使われたりとかしたのだろうか?現代を生きるの画伯としては興味のあるところである。
