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【講演会&報告会】大形竪穴住居跡から探る!印旛地域の縄文時代後期・晩期の社会!(佐倉市志津コミュニティセンター)

 2025/12/13 講演会&報告会 この記事は約 12 分で読めます。 24 Views

 

 

井野長割遺跡国史跡指定20周年記念公園化「印旛地域の縄文時代後期・晩期の社会(大形竪穴住居跡から探る)」に行ってきました。

井野長割遺跡はめちゃくちゃ近所にある遺跡、ポケモンGOで昔よく足を運んでいた「井野っ子山公園」が遺跡だったりする。ポケGOで足を運んでいた時は、全然そんなこと知らなかったし、公園にそんな掲示板するらなかったので、気づきもしなかったが、調査された範囲だけでも、縄文時代の大形竪穴住居跡が2軒もあるすごい遺跡だった。

 

 

因みに公園の隣は井野小学校。この小学校の敷地も元々は井野長割遺跡で、学校の敷地内からも数々の貴重な遺物や土坑や住居跡が見つかったらしい。

ここに通っている小学生たちは、そのことを知っているのだろうか?

 

 

更にその隣だが、森というか林というか台地になっていて、遺跡保護のためなのか、このエリアは今も放置されており、家が建つ予定はないと思われる。(このエリア一体は山万のユーカリが丘都市開発エリア)

中に入ることはできないけど、おそらくこの森もしっかりと調査したら、数々の貴重なモノが出てくるんだろうな。

 

 

大形竪穴住居って何?

 

 

さて、そんな井野長割遺跡をはじめ、千葉県内の遺跡では、数々の「大形竪穴住居跡」が見つかっている。具体的には「下ヶ戸貝塚・下水遺跡・吉見台遺跡・宮内井戸作遺跡・内野第1遺跡・加曾利貝塚・能満上小貝塚・祇園原貝塚」など、いっぱいあるらしい。

加曾利貝塚なんかは、大形竪穴住居がそのまま保存されているから見学も出るし、分かりやすいと思う。

 

 

さて、そんな「大形竪穴住居」なんだけど、どういう住居が「大形竪穴住居」に当てはまるのかというと、特に定義はないのだそう。とはいえ、名前の通り「一般的な竪穴住居よりも大形である」というのは確かで、他にも以下のような共通する条件があるらしい。

1.規模(住居の長軸が12m以上)
2.構造(炉や燃焼面などの付帯移設を含む)
3.遺物組成(祭祀遺物や装飾品などが多い)
4.遺物の出土状況(祭祀遺物や装飾品などが多い)
5.継続期間(同一場所での拡張・縮小、場所を移動しての建て替えの頻度など)
6.集落内での位置(他の住居とは隔絶した場所・集落の出入り口・地形の高さなど)
7.焼土や灰、粘土などの人為的堆積物の在り方

大形竪穴住居を有する集落は「規模や存続期間が長いという特徴がある」ため、拠点的な集落と捉えることができる。

 

【加曾利貝塚の大形竪穴住居跡1の遺物出土状況】

 

そんな大形竪穴住居だが、構造および形態変遷が通常の竪穴住居と同じであることから「住居である」という見解と、出土する遺物が祭祀遺物が多いことから「祭祀施設・集会所・共同作業場・共食の場所である」という見解に大別される。

また、祭祀遺物に加えて焼土・焼土帯や複数の燃焼面が認められることから「廃絶に伴う儀礼が行われた場である」という考え方もあるらしい。

 

【加曾利貝塚の大形竪穴住居跡2の遺物出土状況】

 

まぁ、実際にどういう使われ方をしていたのかを見ることは不可能だから、遺構の状況や出てくる遺物などから、証拠を集めて謎を解いていくしかないんだけど、日常づかいではない「異形台付土器」なんかが通常の住居跡より多く出てきているので、大形竪穴住居は「祭祀に使われていたんではないかと考える」のが自然な気がする。

 

 

パプアニューギニアのハウスタンバラン

 

 

先ほど紹介した通り、縄文時代の後期・晩期の大形竪穴住居跡から出土する遺物は、日常の煮炊きに使う土器とは異なり、石棒・土偶・異形台付土器・動物形土製品・ミニチュア土器など、儀礼や祭祀で使われるものが多い傾向にある。

これは、現代でも大型住居で儀礼や祭祀を行っている「パプアニューギニアのハウスタンバランが参考になるかもしれない」と言われている。

パプアニューギニアの「ハウスタンバラン(Haus Tambaran)」とは、主にセピック川流域に点在する、精霊を祀り、儀式を行うための神聖な家(精霊の家、男性の家)のこと

 

 

【セピック川流域の部族】

 

セピック川流域に残るイアトゥムル族、クォマ族、サウォス族などのハウスタンバランは、縄文時代の大形竪穴住居と同じうような大きな建物で儀礼や祭祀を行い、それ専用の祭祀の道具を使っている。

更に、それら儀礼や祭祀には、それぞれの部族が象徴としている動物(トーテム)を供養するなどの儀礼もあり、後述の「縄文人のトーテム信仰説」に近いものがあったりする。

 

 

縄文時代後期・晩期の動物形土製品

 

 

縄文時代の遺物の出土品の中には、イノシシやイヌやサルといった動物をモデルにした遺物があり、それらの遺物は「動物形土製品」と呼ばれている。

動物形土製品は、これまで有力な説として「豊猟祈願(狩猟儀礼)」と関連付けて考えられてきたが、新たな説として「それぞれの集落が大事にしている動物(トーテム)だったのではないか?」という説が出てきているらしい。

というのも、豊猟祈願であるのであれば、縄文時代に最も食料として利用されてきたシカの動物形土製品が発見されておらず、単純な豊猟祈願では説明することができない。

 

 

また、土製品として製作されているのが、イノシシ・クマ・イヌ・サル・トリ・巻貝などの6種類に限られており、豊猟祈願であるのであれば、もっと多くの種類の動物が動物形土製品になっていないと、辻褄が合わない。

そういう点でも「動物型土製品が豊猟祈願のためのモノである」という説は、腑に落ちない点が多い。

 

動物形土製品とトーテム

 

 

縄文時代後期・晩期の人たちが、パプアニューギニアのハウスタンバランのように「集落や氏族ごとに1種類の動物をトーテムとして信仰していた」という説の裏付けとして、いくつか根拠があるのだけれど、そのひとつが「基本的に1つの集落からは1種類の動物形土製品しか見つかっていない」というのがある。

2種類以上の動物形土製品が見つかっている例も少しはあるが、基本的には稀で、やはり1集落1種類の動物形土製品が主になっていて、2種類以上の動物形土製品が見つかる例はかなり少ない。つまり、1つの集団は1種類のトーテム(動物)を保有するということになる。

また、このトーテミズム説を裏付ける証拠のひとつとして、市川市の向台貝塚では「人間と同じ食べ物を与えられ、人間と同じように屈葬で埋められたイノシシの骨(DNAで分析)」が2体も出土した。

そのことから「その2体のイノシシは食べ物としてではなく、人間と同じように大事にされていたのではないか?」という仮説が生まれている。

 

動物形土製品と分布

 

 

動物形土製品の出土状況を全国的に見てみると、イノシシ・トリ・クマ・イヌ・サル・巻貝の6種類が、縄文時代後期・晩期において、東日本を中心に全国的に分布していることが確認されている。

・イノシシ ⇒ ほぼ東日本全体に分布
・トリ   ⇒ ほぼ東日本全体に分布
・クマ   ⇒ 青森・秋田・岩手・宮城を中心に分布
・イヌ   ⇒ 千葉・埼玉・栃木・福島・宮城を中心に分布
・サル   ⇒ 埼玉・福島・岩手・青森を中心に分布
・巻貝   ⇒ 新潟・岩手・宮城・秋田を中心に分布

このことから、このトーテム信仰(トーテミズム)は、全国的に広く維持されていたシステムだと考えられる。

トーテミズムとは、ある社会集団(部族や氏族など)が特定の動植物や自然物を祖先や守護霊(トーテム)とみなし、特別な関係にあると信仰・崇拝する宗教的・社会的な制度です。集団のアイデンティティを形成し、社会秩序を保つ役割があり、そのトーテムを殺したり食べたりしない「タブー(禁忌)」や、定期的な儀礼(祭りなど)と結びついています。

 

千葉県の遺跡と動物形土製品

 

 

佐倉市周辺の遺跡とそれらの遺跡から見つかった動物形土製品。それらの分布から、それぞれの遺跡のトーテムが分かる。

・大畑遺跡    ⇒ イノシシ型土製品
・井野長割遺跡  ⇒ イノシシ型土製品
・曲輪ノ内貝塚  ⇒ トリ型土製品
・宮内井戸作遺跡 ⇒ トリ型土製品
・吉見台遺跡A  ⇒ トリ型土製品
・吉見台遺跡B  ⇒ イヌ型土製品
・吉見台遺跡C  ⇒ イノシシ型土製品

吉見台遺跡は同じ遺跡なので、トーテムは1種類のはずだが、「それぞれの動物形土製品が出土した地点に別々の大形竪穴住居がある」と推測されている。

また、佐山貝塚や神野貝塚や遠部台遺跡は「規模的に動物形土製品がありそう」と推測されているが、全体的な調査を行っていないため、今のところ動物形土製品は見つかっていない。

縄文時代後期・晩期のトーテミズム説は、出土している動物形土製品から「少しずつ明らかになってきている新説ではある」が、まだまだサンプルが少ないため、確定的な説ではない。

 

 

縄文時代後期・晩期の母系制社会

 

 

縄文時代後期の中妻貝塚は、100体を超える人骨が1つの土坑(直径2m・深さ1m)からまとまって出土したことで一躍有名になった。

その人骨のDNA分析を行ったところ、その土坑の人骨は9つのタイプに分かれ、中でも1つのタイプに属する人が多いことが分かった。このDNAは「ミトコンドリアDNA」と呼ばれていて、母系で遺伝するモノでなので、「同じタイプのミトコンドリアDNAを持つ人は、全員一人の母に繋がっている」ということになります。

 

【ミトコンドリアDNAをサザエさん一家で解説】

 

ちょっと分かりづらいので、サザエさん一家で解説すると。

浪平とフネの間には、サザエとカツオとワカメの3人の子供がいるけど、ミトコンドリアDNAは母系の遺伝子になるため、浪平のミトコンドリアDNAはサザエとカツオとワカメには遺伝されず、フネのミトコンドリアDNAだけが遺伝されます。

サザエとマスオは結婚してタラオが生まれたけれど、ミトコンドリアDNAは母系の遺伝子になるため、マスオのミトコンドリアDNAはタラオには遺伝されず、サザエ(フネ)のミトコンドリアDNAだけが遺伝されます。でもって、サザエさん一家のトーテムは猫のタマになります。

つまり、先ほどの中妻貝塚の1つの土坑から見つかった100体のうちの数十体は「先祖が同じ母」ということになる訳です。

 

縄文時代後期・晩期の婚姻とトーテミズム

 

 

縄文時代後期・晩期は「集団は同じ母系のミトコンドリアDNAを持っている母系制社会で、それぞれの集団には崇拝する動物(トーテミズム)があったのではないか?」という仮説が、最近の研究によって分かってきました。

つまり、現代の「家族(氏族)に近い制度というか集団がこの頃に確立された」ということになり、そうだとすると、今まで考古学で謎とされてきた多くの謎が解けてくるのだそう。

例えば、「なぜ、後期になると土偶などの女性造形物が急増するのか?」「なぜ、中期の環状集落が解体し、後期は小規模な住居群からなる集落に変化したのか?」「なぜ、石棒などの集団の繁栄を祈る器物が登場するのか?」「なぜ、後期になると動物形土製品が全国的に登場するのか?」など、母系制社会になって「家族(氏族)で集団を形成するようになったから」と考えると、確かにそう思えてくる。

というか、どこかのタイミングで「家族(氏族)で集団を形成する社会」が確立してこないと、この後の弥生時代の卑弥呼、古墳時代の豪族、その後の曽我氏や物部氏、天皇制なども出現しなくなってくる。

 

現代のトーテムと氏族間の関係

 

 

トーテムと氏族間の関係性として以下のことが言える。

1.同じトーテム氏族に帰属する集団は、互いに協調して支援し合い、資源や情報を共有するなどの共助組織として機能。また儀礼や祭祀などを共同で行うなどの共働的機能。

2.異なるトーテム氏族は互いに婚姻を取り結ぶことによって、相互に関係性を持つ。血縁紐帯を形成し、婚姻連帯を形成する。

3.同じ氏族としてとしての同盟関係、異なる氏族として婚姻連帯による婚姻同盟。

4.親族組織、婚姻組織両面を通じて社会紐帯を形成。

なんとなく、「戦国時代の氏族や婚姻による同盟みたいなのもの走り」って感じがする。お互いに天下統一を目指している別の氏族なので「元々仲はそんなに良くないが、婚姻関係を結ぶことで同盟を組む」みたいな。

 

婚姻とトーテミズム

 

【サザエさん一家とトーテム】

 

分かりやすくサザエさんで説明すると、サザエさん一家は先ほどお伝えした通り、まず、猫のタマがトーテム、サザエとカツオとワカメとタラオは、フネのミトコンドリアDNAを引き継いだ子供たち。波平とマスオは別の集団からやってきた。現在は7人と1匹で1つの氏族を作っている。

 

【伊佐坂先生一家とトーテム】

 

一方のサザエさん一家のお隣さんの伊佐坂さん一家。まず、犬のハチ公がトーテム、甚六と浮江は、お軽のミトコンドリアDNAを引き継いだ子供たち。伊佐坂先生は別の集団からやってきた。現在は4人と1匹で1つの氏族を作っている。

カツオとワカメは、同じ氏族で同じトーテムだから婚姻関係は結べない。でも、カツオと浮江、ワカメと甚六は、異なる氏族の異なるトーテムだから婚姻関係が結べる。

で、縄文時代後期・晩期の社会は母系制社会だから、大きくなったら「カツオはマスオのように他のトーテム氏族」のところ、つまり「浮江さんや花園さんのところに行かなければならない」ということになる。

 

 

実際に、ミトコンドリアDNAの解析によって、「西広貝塚(イヌ族)で見つかった男性の骨のDNA」と「菊間手永遺跡(イノシシ族)で見つかった女性の骨のDNAが近い」という例が発見されている。

このことから「西広貝塚(イヌ族)で見つかった骨(男)は、菊間手永遺跡(イノシシ族)から、婚出した男性である可能性」そして「西広貝塚はイヌ族なので、この男性はイノシシ族からイヌ族へ婚入した可能性」があげられている。(※より多くの詳細なデータが必要)

 

と、そんな感じで、大形竪穴住居や遺物や骨などの出土品から、上記で書いたことが仮説として成り立つようになってきたらしい。まだまだサンプルが少ないけど、この仮説は非常に面白い仮説なので、この仮説を裏付けする多くの例が出てくることを期待したい!!

 

 

 

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