【博物館】凄いぞ!縄文人の技術力!漆にカゴ編みに木材加工!(八国山たいけんの里・下宅部遺跡)

今日は、東京都東村山市にある八国山たいけんの里と下宅部遺跡に行ってきました!
八国山たいけんの里は、下宅部遺跡とその周辺で発見された遺物の展示、体験コーナーでは、カゴ作りや土器づくりなど、縄文時代の様々なアクティビティやワークショップが楽しめる施設。となりのトトロのモデルになったエリアでもあるよ。
今回は、以前にポケモン天文台に行ったときに手に入らなかったグッズをフレンドさんが手に入れてくれたので、それを取りに行くついでのお立ち寄り、財布を忘れてしまったので、アクティビティやワークショップには参加きなかったけど、縄文時代のカゴや漆塗りの道具など、普段はお目にかかれない貴重な遺物を見てきました。
Contents
八国山と下宅部遺跡

下宅部遺跡(しもやけべいせき)は、東京都東村山市の北西、八国山緑地の南側にある遺跡で、丘陵からの湧き水が川と合流する場所にあって、縄文時代後期に生活のための作業場として使用されていたと考えられている遺跡。
低湿地遺跡なので、普通なら蕩けてしまうカゴや種子の殻などの有機物系の遺物がわんさか出土する貴重な場所です。
【土器に付着した煮豆(有機物)】

下宅部遺跡周辺の湧き水は、酸素濃度が低く、夏季に比較的低温で菌による腐食が進みにくかったため、木材の加工品や網、木の実が多数出土しました。また獣骨・漆工芸品・石棒・遠隔地からの交易品などの多数の遺物も見つかっており、縄文時代の生活の様子がうかがえる貴重な資料になっています。
実際、木材の加工品や木の実だけじゃなく、こんな感じで土器に付着した煮豆なんかもがっつり残っている。これだけでも、縄文人が何を食べていたかや調理法などが分かる。
下宅部遺跡の特徴

下宅部遺跡が営まれていた時代は、縄文時代~古墳時代、古代・中世にかけてで、中でも縄文時代の遺物を見ると、加曾利B式期土器の出土が多いことから約3500年前から(縄文時代後期)に栄えていたということが分かります。
【第38号編組製品(カゴ)】

下宅部遺跡の一番の見どころは、前述のとおり、豊富な地下水のおかげで、普通なら腐ってしまう有機物の遺物が良好な状態で保存されてる点です。
具体的には、漆工・カゴ編み・木材加工の他、堅果類の下処理やシカ・イノシシの解体作業、マメやアサなどの利用の様子もうかがえます。また、土偶や石棒などの祭祀的な遺物も出土しており、この地に縄文人の生活が根付いていたことが分かる。
カゴなんかはがっつり植物が材料だから、普通なら何千年も前のモノなんて溶けてしまうけど、それがしっかり残っているのはすさまじいね。低湿地遺跡ならではの発見だと思う!
化学分析

低湿地遺跡からは、様々な有機質の遺物が出土するので、それらを分析することで、多くの情報を得ることができます。植物では、木材・葉・種子、肉眼では確認できない花粉や珪藻も出土します。動物では、骨はもちろんのこと、昆虫などの虫も見つかります。これらを現生のサンプルと比較して、どんな動植物であったのかを特定することを同定といいます。
木材の同定からは、縄文人が木製品を作るときに適材適所な選択をしていたことが分かります。多くの木材の中からウルシの木を特定できたことにより、ウルシ樹液採取の痕跡を明らかにすることができました。

また、動物や種子の同定からは、縄文人がどんなものを食べていたのかが分かりました。他にも放射性炭素による年代測定、漆に混ぜた赤色顔料の蛍光X線分析、黒曜石の産地の同定、土器の態度分析など、様々な化学分析が行われました。
縄文時代から既に漆が使われていたことにびっくり、しかも色付けしたり、使い方なども研究されていて、縄文人ってウホウホしているだけのイメージだったけど、全然違ったw
環境復元

下宅部遺跡から出土した植物は、ほとんど現在の狭山丘陵に生育している植物と同じでした。そのことから、下宅部遺跡で活動していた縄文人たちが積極的に森林に働きかけを行い、現在でいうところの雑木林的な二次林を形成していた証拠になりました。
科学的な分析成果と考古学的な発掘成果を基に縄文人たちが暮らしたと思われる「下宅部遺跡復元画」が上のイラストです。
イラストの植物は、全て下宅部遺跡の川の中から出土したもので、その植物の生態を考慮して、太古の景色を限りなく忠実に再現しています。
【下宅部遺跡のジオラマ】

また、珪藻や昆虫は生態環境が細かく分かれています。例えば、オオセンチコガネという糞転がしの仲間が出土していますが、これはこの地にイノシシやシカなどの大型獣が生息していたことを示しています。
自然に与えられた環境だけでなく、自分たちで住みやすいように森を今でいうところの雑木林みたいな感じに変えていたんだね。農業は弥生時代から始まったイメージだけど、実は縄文時代から、食べられる植物とか、木工品に使える植物とか、選定していたことに驚いた。
縄文人の技(漆工技術)

縄文時代の漆工ですが、基本的に現代の伝統工芸の漆工と同様の工程で構成されています。ウルシ林を管理してウルシの木を育て、何本もの木の樹皮に傷を付けて樹液を採取して保管します。使うときは、樹液を濾してゴミを取り除き、ゆっくりと過熱し、水分を蒸発させながら均一な黒色漆に調整します。
これにベンガラや水銀朱を加えると色鮮やかな赤色漆になります。刷毛のような道具を使って土器や木製品に塗布して製品に仕上げます。また、漆に細かい植物繊維などを混ぜて接着剤を調合し、壊れた土器を補修しています。
この時点で既に現代とほとんど変わらない技法があったことにびっくり。縄文時代だけでなく、他の時代でもそうだけど、黒と赤は色のついた土器の代名詞よね。そういえば、以前に現場で先生に聞いたけど「黒と赤以外の土器はあまり見たことがない(というか見たことがない)」と言っていた。
ウルシ林の管理

ウルシの木は。日本の気候風土の中では自生できません。現在でも、放棄されて手入れされなくなったウルシ林は荒廃し枯れてしまいます。このことから、縄文人がウルシの木の管理をし、丁寧に世話をしていたことがうかがえます。
線刻付木杭の分析から、縄文人たちがウルシの木の管理の具体的な方法として「間伐」が明らかとなりました。杭に残った傷は、一回だけ樹液の採取を行っただけで伐採していることを示しています。ウルシの若木がある程度成長したところで木の選別をして間伐を行います。伐採する前に三木と枝野全てから樹液の採取を行い、伐採後は杭に利用していました。また、間伐を行う技術レベルであれば、下草刈りや蔓植物の除去も行っていたと考えられ、手入れの行き届いたウルシ林が想像できます。
また、線刻付木杭の傷の間隔は、細い杭は狭く、太くなるにつれて広くなっていることから、気の太さと傷の間隔を見極めて、効率よく採取していたことが分かります。実際、保管用の漆液容器の痕跡を見てみると、最大で約1000mlもの漆が保管されていたことが分かり、この量の漆液を集めるには、効率よく集めないと不可能なのが分かります。
塗布

黒色漆を塗府布する際には、多くは調整加工を行った容器から直接塗布します。作業が中断すると、残った漆の表面に膜が張って蓋の代わりになります。広葉樹の葉を蓋にすることもあります。

赤色漆の場合は、小形土器に黒色漆を取り分けて、赤色顔料を混和してから塗布します。小形土器(ミニチュア土器)の用途は不明とされていることが多いのですが、漆や顔料の痕跡が残っていなくても、漆塗布容器である可能性があります。また、塗布に使う刷毛の類はまだ発見されていませんが、塗布容器や製品の刷毛状の工具痕が残っています。
【下宅部遺跡から出土した漆製品】



想像以上にしっかりした製品だった。特に弓とかの木製品に漆を使った遺物なんかは、現代でも行けるくらいの出来栄え!勝手に「縄文人=ウホウホ」にしてしまってすみません!
土器の補修

下宅部遺跡からは漆を接着剤として補修を行った土器が46点出土しています。壊れた土器を直して使っていたという証拠です。
生漆に細かくほぐした植物繊維を混和した例が最も多く見られます。生漆は固化が速いため接着剤に適しており、植物繊維や土を混和することでパテ状の形質に調合しています。
【漆を使って補修された土器】

補修方法としては、破断面に塗布して接着するのが最もシンプルな補修です。破断面の両側に補修孔を開け、紐で縛ってから孔と紐を漆で塗り込めてしまうという強固な補修も行っています。
【漆を使って補修された注口部】

他にも漆を亀裂に塗り込める補修や、土を混ぜた漆を剥落部に充填して器形を復元する補修など、臨機応変な補修技術が存在していました。また、砂を混ぜた漆で接合部を隠すなど補修箇所を目立たなくするは色もなされており、見た目の美しさへのこだわりも見て取れます。
補修後の見た目の美しさにもこだわるとは、美的感覚もこの当時からあったんだね。
縄文人の技(カゴ編み技術)

下宅部遺跡からは、50点以上の編組製品が出土しています。網粗製品とは、カゴ編みの技術で作られた製品の総称です。素材としては、ササやタケの割り裂き材や木の剥ぎ材をヒゴとしたもの、樹皮・シダ植物・ツル性植物を素材としたものなどがあり、地域によって使い分けられていました。関東周辺地域では、ほとんどの編組製品の素材にササの割り裂き材が選択されています。
下宅部遺跡にもササの割り裂き材で作成した大小様々なカゴの他、漁労具のウケや敷物のような平面的な編組製品などがあり、生活の中の様々な場面で使われていた様子がうかがえます。
蒸し器としての利用

縄文時代の調理法としては、直火で焼く・深鉢形土器で煮る・焼け石で石蒸しにする、などが知られていますが、土器の内側にカゴ編み製品が焦げ付いている土器が発見されています。このことら、縄文人が、土器の中にカゴを設置してカゴ編み製品を蒸し器として使っていたことが分かります。因みに、編み方は、食物が下に落ちないように目の詰まった網代編みが選択されています。
下に食物が落ちないように編み方まで工夫されているとは、縄文人おそるべし!多分最初のころは、カゴを使って蒸したときに破けてしまったんだと思うけど、落ちない編み方を考えて改良していった結果なんだろう。
動物にはない人間の凄さって「学習能力の高さ」と「失敗から学んで次に活かすところ」にあるんだと思う。
縄文人の技(木材加工技術)

漆工関連遺物とともに、下宅部遺跡を特徴付けているのが木製品です。縄文時代の木製品の場合、完成品の表面は滑らかに仕上げられているため、加工痕跡がほとんど残っていないので、未製品や復元実験から加工技術を明らかにします。
伐採と切断

木材加工は樹木の伐採から始まります。立木を伐採するときは、木の周りを回りながら切るので、均一に斧が入り、最後に芯が自重で倒れます。
次に、伐採した木を切断して必要な長さに調整します。このときは横倒しになった状態なので、真上から斧を入れます。ある程度切れたところで木を転がしてまた斧を入れるので、斧の入り方が不均一になります。
この違いによって伐採痕か切断痕かの識別が可能です。更に、作成する木製品にあわせて、半割したり板目材を割り取ったりします。
加工技術

加工具は磨製石斧や剥片などの石器が想定されています。水で濡らして柔らかくして削る方法が一般的に言われています。容器などの中央を窪める場合には、火で焦がすことによって、脆く炭化した部分を削り取る方法があり、実際に小形木製容器未成品に焦げの痕跡が残っています。珍しい加工法として、鋭い剥片で無数の細かい傷を交差させるように付け、毛羽立った部分を削り取る技法が、皿未成品に残っていました。
弓の加工方法は復元実験で明らかとなりました。実践的な弓は中央部近くの握り部分が最も太く、両端の弓筈に向かって細くなります。実験では、乾燥したイヌガヤの枝の樹皮を剥き、黒曜石の剝片を90度より少し手前に傾けて、表面をこそげ取るように削ることにより、滑らかに弓筈に向かって細める加工を復元することができました。
現代人のワイでさえ「水で柔らかくしてから削るアイデア」だけでも目から鱗なのに、中央を窪めるために「火で炙る」って発想がすごすぎた。サバイバルすることになったら、真似してみよう。その前に火おこしが大変そうだけどw
縄文人の技(遠隔地との交流)

縄文時代の生活は自給自足を基本としますが、自分たちの生活圏に存在しないモノは、何らかの方法で遠隔地から調達しています。指定品の中にも、黒曜石の石鏃やヒスイの玉があり、辰砂の粒が付着した赤色顔料容器やアスファルトのような黒色物質が付着した石器もあります。これらはいずれも産出地が限定されているため、当時の生活の中での貴重な到来物だったことでしょう。
黒曜石

石鏃などの材料となる黒曜石は、蛍光X線分析によって産地同定が行われており、どこから産出した黒曜石がもたらされたのかが分かります。下宅部遺跡から出土した黒曜石は、長野県(諏訪・和田など)のものが最も多くて約85%を占めています。他には東京都伊豆七島の神津島、神奈川県の箱根、静岡県の天城、栃木県の高原山などのもがあります。
ヒスイ
ヒスイは「硬玉」ともいい、新潟県の姫川流域や火口周辺の海岸が主要な産地です。日本各地の遺跡から出土していて、大きなものは「大珠」と表現されます。下宅部遺跡出土の弾は2cm以下の小さなものですが、きれいな緑色をしています。ヒスイの代わりに緑色凝灰岩(グリーンタフ)を使うこともあるので、緑色に意味があったようです。
辰砂

辰砂は水銀朱の原料です。水銀鉱床に伴って算出するため、関東周辺には産地が存在しません。紀伊半島以西か北海道までいかなければ、路頭や川底から入手することができません。下宅部遺跡からは0.1~0.2mmの粒子が内面に付着した顔料容器が見つかっています。
また、水銀朱が付着した福島県の新地式土器も出土していることから、北海道産の辰砂が東北経由でもたらされたものと考えられます。
入手困難な水銀朱ですが、300点以上の赤色遺物を蛍光X線分析で同定したところ、水銀朱が7割で多く、ベンガラが5割、両方が使われていたのが2割という結果が出ました。
アスファルト
アスファルトは新潟県から秋田県にかけた油田地帯から産出します。下宅部遺跡からは、石鏃・小形磨製石斧・打製石斧の3点に黒色物質が付着していました。顕微鏡観察ではアスファルトの可能性が高く、土器の補修は漆で行い、石器の装着にアスファルトを使っていたようです。
とまぁ、こんな感じで下宅部遺跡で出土した遺物を細々チェックしていくと、森の雑木林化、漆を使った加工、カゴなどの植物利用、木工品、物流まで、あらゆる面で縄文人の技術が高いことが分かる展示だった。
遺物を見て学ぶのもいいけど、それらの遺物がどういう技術で作られたかなどのにも目を向ける機会が得られて良かったわ。
